The message from Isis!

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Tuesday, 20 December 2011 23:08
Isis, December 22, 2011 Solstice, a glimpse within the future.

As this date is coming up, we would like you all to prepare to bring in that part of you that is already within the New Earth Reality.

The day when the sun stops and moves back once more to begin a new cycle of rebirthing.

This moment in time is where time stands still and the rift within the energy is the opening into the new earth.

You can move through this and get a glimpse of the future as you have set out your path at this moment allowing you to see what is needed in the year to come.

This glimpse is what you can use to further hone your path onto the date of the ascension of the earth and all upon her.

Bringing in those energies of your future self will bring in more changes into the physical and spiritual reality of yourself, giving you another boost to go deeper within yourself. As by reaching out to the future you bring back with you a further advanced part of yourself.

These are the possibilities of the Solstice as they open up the window into the future.

The rebirthing into your own being.

Take the time to see for yourself, see what the future can bring you and see what the future can hold as you are in the moment of creating the future now.

Isis

Through Petra Margolis

December 20, 2011

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˜Ƹ̵̡Ӝ̵̨̄Ʒ ˚ ˚✰˚ ˛「La Pieta」 ˚ ˚✰˚

「神学の徳」(希望、慈愛、信仰)
信仰、希望、慈善の3つの神学の徳は、キリスト教の道徳的な活動の基盤であり、それが、キリスト教の道徳的な活動に命を与えます。 ラファエロの生きた時代でも、今でも、不確かな人生において、よりよいもの、よりどころとなるもの求めて生きています。精神的な内面について、深く考えながら、信と望と愛の中心となる神について知ることで、人間が持っている可能性を気付くことができます。空気が澄んだ冬の夜空には、☆が輝いて、神秘的な美しさ、静けさを湛えています。我々の心に、信と望と愛の三つの光が貫いていないと、人生は輝き、命がないものと同じです。信と望と愛の三つの光で、我々の人生を照らすことは課題です。

 言葉、心、行動は、関連しあっています。日々の生活で希望、慈愛、信仰に溢れる言葉、心、行動に触れることができるならば、豊かで恵まれた気分になります。ある一瞬、それに触れたと思っていても、それを新鮮に感じ続できる人は少ないものです。

Raphael Renaissance

 “My mind is a center of Divine operation. The Divine operation is always for expansion and fuller expression, and this means the production of something beyond what has gone before, something entirely new, not included in the past experience, though proceeding out of it by an orderly sequence or growth.

 愛について書かれた言葉よりも、具体的なものがないと、人間の心は満足できません。我々の生活は、日常的な生活の面と精神的な面とがあり、両方を追求することは難しいようです。多くの人が恋愛の奇跡、魔法の力を一部発揮して心が満たされる最良の経験をします。愛への期待は高く、それまでの不満を一掃して、現実の生活に至福をもたらすものであってほしいと思います。恋愛は、より高い次元への梯子ですが、人は、精神的な世界に突き進みません。恋愛にとどまり、その先にある完全に隠された愛の力を理解し、使用した人は未だ少ないようです。そこでは、愛の使い方をマスターすると、広大無辺の宇宙のソース(Infinite Supply)に繋がるり、望んだことが現実化します。その秘密のコードを解読した人はいますが、自由に使えるようになった人は少ないようです。
 
心は、いれるものによって、変化自在にかわるものです。「私の心は、神の働きの中心である。神の働きは拡大と表現を求めてやまない。それは、いまだかってなかったものを生み出す。過去の経験から出てくるにしても、そこに含まれない新しい何かを」もし、信と望と愛の徳を積んで、私たちを通して、宇宙の創造力を発揮すれば、思い描いた人生を送ることができます。信と望と愛の徳を積むには、自分のことのように、他の人も敬意をもって大切にすることができないといけません。

 世のなかが不安定であり、自分で生きるだけで大変な時代です。恋愛とは、対象も具体的ではつきりしていますが、愛になると、抽象的でイメージが湧きにくいものです。人間は、自己の愛が満たされる居心地良い人間関係があれば、高望みをしません。しかし、不確かな人生において、よりよいもの、よりどくろとなるもの求めて生きていけば、実生活の経験を通して、われわれは、愛について、学ぶことができます。自分の中心の生き方をしながらも、精神的な代償を支払って、気付けば、精神的な高みにジャンプしていることになっています。螺旋階段をのぼりながら、人生の季節での出会い、恋愛、純愛で彩られたいろんな現実の生活で胸の痛みを経験して、考えていくものかもしれません。
 
若いときの恋愛気分は、心を有頂天にします。心は掴みどころなく、気分でかわりやすく、身勝手でいろんな思いで揺れています。付き合う相手は自分の心をうつす鏡です。恋愛に心が魅了されると、高い期待値で、多くを求めるようになります。自己中心の恋愛は、魂を磨く機会を与えてくれます。その反動と精神的な代償は大きいものです。人を愛しても、他人に多くを求めると、不足している点に目がいって、他人を非難してしまいます。恋愛気分を永遠に保持できずに、それから覚めると、物足りなさを感じます。自分の思うようにならない相手にいら立ちます。他人を変えたいという不満の気持ちが自然に心の中で頭をもたげてきます。人と人とがぶつかりあう側面があります。自己中心の恋愛では、反動で、ねたんだり、自慢したり、高ぶったり、いらだったり、恨みをいだいたりすることもあります。他の人ことまで思いやる余裕はありませんので、心痛などのいろんな経験を積むことになります。そして、人間は成長していきます。変えるべきは、相手でなく、自分の内面です。自制心、寛容な心、謙虚な心、静かな心を学び、人生経験を積んでいくと、自己中心の愛から他人のことも考える慈愛に転化していきます。
落ち着いた愛というのは、「信」、「望」=「辛抱」という意味かもしれません。

 支え合う人と人との間で、いろんなギブアンドテイクがあります。「ギブアンドテイク」という観点からみると、収支を考えて、与え過ぎないように、損しないようにします。選択と妥協の達人であり、自分の理想の人の条件のリストがいっぱいあっても、現実に合わせて柔軟に妥協できます。自己中心的で打算的な資本主義経済的な生活は、精神的な生活とは相反する性格のものです。制限つきの愛さえあれば、なんとかやっていけます。愛も、近ごろ、コモディティ化しているように思います。コモディティは生活を満たす「日用品」という意味です。婚活という言葉があるように、生活レベルの面でも、恋愛に対する欲求は高く、なかなか手に入らない状態です。

 <コロサイ書1章3節>
  わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神に感謝している。
これは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対していだいているあなたがたの愛とを、耳にしたからである。この愛は、あなたがたのために天にたくわえられている望みに基くものであり、その望みについては、あなたがたはすでに、あなたがたのところまで伝えられた福音の真理の言葉によって聞いている。

 信は望を生み、望は愛を生じるとは、この数節において示された信仰的生涯の順序です。このように、聖書の何処を読んでも、私達は信、望、愛の三姉妹に出会います。」

 新約聖書コリント使徒への手紙第十三章にも、 信仰、希望、慈愛の大切について語っています。我々に欠けていることを、反省すべきことを、指摘してくれているのかもしれません。

<愛がなければ>
13:1 たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
13:2 たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
13:3 全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

<愛とは>
13:4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
13:5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
13:6 不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
13:7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

13:8 愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、
13:9 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
13:10 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。
13:11 幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。
13:12 わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。

13:13 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である

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